2013.09.30.
昨日は、曇りベースとはいえ陽射しが強く、目が痛いほどの状態で久々の成田往復であった。しばらくハンドルを握る機会もなく、久々にまとまった距離を走ったことになる。そして意外なほど体力が無くなっていることを再認識させられた。帰途、いったん休憩するなど、対策が必要となってしまった。そもそもここのところ、明け方に脚がつるのが復活しており、昨日も4〜5回つったのだった。結局その箇所が痛むのと、息があがるのと、めまいとで、休み休みの行動となってしまうのだ。久々に顔を合わせたお母さんからは、随分痩せたと驚かれるし、いろいろ考えさせられた。有り難いことに動体視力には影響はないらしく、運転はさほど苦にならない。ただ、昔ほど反応はよくなくなっているのだろうから、スピードは控えめに…だなぁ。ま、そんなわけで、食糧をはじめ、いろいろ仕入れてきた。徐々に生活は元に戻りつつあるといったところか。高齢化という現実と向き合うのも、自分の限界を思い知らされるのも、決して楽しいことではないのは十分承知のうえで、その中にささやかな楽しみを見つけながら折り合いをつけていくしかないわけだね…。うーん、シンドイな…。
2013.09.29.
いやはや、猛烈にバタバタした日々であった。親父様の葬式と同日の初七日を済ませただけでそのまま職場復帰し、リニューアル・オープンに突入してしまった。いきなり午前様の日々で、結局病欠の穴埋めも満足にできず、他の職員にメチャクチャな負荷がかかっている状況。開館状態をロクに知らない人間がヘタに手出しできないこともあり、また体調もイマイチな日々が続いており、こちらも半フリーズ状態だけに、本当に申し訳ないと思う。結局システムは満足な出来ではないし、当然のようにクレーム電話が鳴りっぱなし。4日目あたりで、ようやく電話の本数が減り始めたか。新規システムの稼働直後というのはこんなもんさと言ったところで、職員は納得するわけないしね。システム課で散々経験してきたことではあるが、今回の出来の悪さはちょっと強烈だったかもしれない。ホームページの検索結果がボロボロで、DBの状態の悪さが知れる。

さて、今日は久々に午後から成田に行く予定。親父様がいなくなっても、我が家にはまだまだ高齢者が何人もいる。時々顔を出さないわけにはいかないのに、もう2か月ほど成田には行っていない。心配は心配。明日は病院のハシゴ。ようやく休めるようになったとはいえ、カラダを休めている余裕はない。

注文してあったアナログ盤がポンポン届いている。カミサンが受け取っておいてくれたものや、深夜に郵便局に受け取りに行く海外からの直買いものなどなど…、のんびり聴きたいものである。
2013.09.10.
無事、親父様の葬式が終わった。遠来の親戚等と話せたのは望外の喜び。享年88歳は大往生である。喜んで送り出してあげるべきか。

もうアタマの中は真っ白。リニューアル・オープン前というのに、これでいいのだろうか。でも、しゃーないな。こればっかしは。
2013.09.08.
昨日、朝6時45分、親父様が亡くなった。88歳、大往生である。前夜から容態が急変し、そろそろと言われていたものの、翌朝とは驚いた。意外にあっさりといったところで、あまり苦しまなかったことが、まだ救われる。

父親の最期を看取った後、斎場に送り出し、その後駆け付けるようにしてMRIの検査を受けてきた。耳栓をして、ガンガンうるさい中に30分近くいたか、終わったあとの虚脱感が酷かった。その後は兄貴の家に行き、親戚一同への連絡を試みるも、電話番号が変わっていたり、なかなか苦労した。通夜は9月9日の月曜日、18時から。故人の誕生日でもある。告別式は翌10日9時からである。

最近、ウチの組織は、職場の人間を呼ばない傾向にあるが、兄貴のところはそういうわけにはいかない。大企業だから凄いことになるのだろうか…。通夜の日には、自分の検査の結果も分かる。職場放棄に近い状態、本当に申し訳ないと思う。
2013.09.02.
やれやれ、やってしもうた。もう少しもつと思っていたのだが、9月の1日に午前中オフィスの引っ越しを終え、新しいオフィスで片付けをしている最中に、めまいが止まらなくなり、目が見えなくなってきたので、夕方4時頃カミサンに迎えにきてもらい、いったん帰宅した。その後、手足のしびれなどまずいなと思う症状がひどく、江東病院に電話をかけてもらい、相談したところ、救急車を呼べということで、その結果、御茶ノ水の東京医科歯科大病院に運ばれてしまった。しかし、着く頃には症状が治まってしまい、しばらく問診を受けて帰宅することに…。紹介状を書いてもらい、翌日西葛西の森山記念病院へ行くことになった。こういうのって、「外来担当先生御机下」なんて書くんだね…知らなかった。

朝9時頃受付をすませたら、脳神経外科の56番。しばらくどこかで時間をつぶしてこいということで、駅前に移動し、銀行でお金をおろした後、ドトールで一休み。しばらくぶりの読書を楽しむ。久々、本なんて読んでいなかったんだな。10時半に一度戻ると、ちょうど呼ばれ、CTスキャンをとった。その後しばらく待って、12時半から診察。一週間後にMRIの予約をいれさせられ、その後採血。会計を済ませて終わり。状況はよく分からない。何せ医者の前では症状が出ない。

脳外科的には奇妙な症状としか言いようがないのが、両手両足のしびれ。普通片方にしか出ない。これは自分でも十分に理解できる。しかし、昨日の搬送中も両手両足が冷たくなってしまい、震えがくるほどで、冷房を止め毛布をかぶって温めたら症状が消えたのである。こちらから脳外科的な問題ではないのではと水を向けたら、せっかくだからきっちり検査したほうがいいと言う。医者としては、そう言うのは当然だろう。大学病院からの逆紹介状はえらく詳しくいろいろ書いてあったようで、診てくれた先生も慎重にならざるを得ないようだった。とにかく少し働くペースを落とさざるを得ない。MRIは7日の土曜日。

正直なところ、かなり無理していたし、シンドイ状況が続いていた。みんなが口を揃えて「少し休め」と言っていたところを見ても、相当顔に出ていたか、おかしな行動でもとっていたのだろうか。実をいうと、少し記憶が飛んでいる気もする。研修をやっていたころまでのことはよく憶えているが、ここ一週間くらいのことは、あまりよく憶えていない。明らかに限界がきていたとは思う。昨日の午前中も、何度も脚をつりながらやっていたのは憶えているのだが、何だか遠い記憶のような気がしてしまう。

まったくもって、周囲の人間に感謝しなければいけない。カミサンは救急車を呼んだときも、飲んでいる薬が全部言えていた。ちょっとビックリした。自分でも言えるかどうか自信がない。狭心症で具合が悪くなったときは救急車には乗っていないので、2000年11月の大量鼻出血以来本当に久々だったが、落ち着いて対処できる人間はエライと思う。日曜日の夜ということで、タイミングが悪かったのだが、走り出すのに20分くらいはかかったのではなかろうか。医科歯科大に搬送がきまったときも、少し前から症状があるなら救急搬送というのはおかしいだろうと言っているとのことだった。確かにひどくなってから救急車を呼ぶのでは、病院としても、迷惑者以外の何者でもないのだろう。…でもねえ、休みたくても休めないときってあるのよ。でもなあ、リニューアル・オープン直前に休んでいるんじゃ、周囲の人々にとっても、迷惑者以外の何者でもないわな…。まいったね、こりゃ。

まあ、しゃあないさ、少しペースを落とすさ。それにしても、無理があったな。人間、無理なことばかりやれと言われたら、壊れるさ。だって分身の術がつかえなきゃ無理なことばかりなんだからね。飛べと言われても無理なのと同じさ。そんな中で脱落者が続けば、そりゃ穴埋めする側も壊れるって。こんなことやっていたら、みんな壊れちゃうよ。これって、下手すると管理者側の責任を問われるんじゃないのかね???
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